高倉
シマの”結い精神”のシンボル「高倉」
「高倉だけはのこせよ」
川上集落の区長を務める尚師功太郎さんの祖父が遺した最後の言葉だった。
60年代ごろまでは各家庭に必ずと言っていいほどあった高倉が老朽化・台風の影響・持ち主の高齢化などで次々と姿を消すなか、尚師さんのお家の高倉は祖父の遺言どおり今も大切に守られつづけている。
その昔、川上集落は集落の各所にイジュンゴ(泉)が湧き、水が豊富な地帯として水田がひろがり、稲作が盛んに行われていた。稲作は各家庭それぞれで行うのではなく「結い作業」として、一つの家庭の田んぼを順番に集落の皆で稲作をしていたそう。
その稲作に大切な役割を担うのが高倉だ。高倉のなかは通気性がよく、南国特有の湿気から穀物を守り、ネズミが登ることのできないように柱はかんなで綺麗に削りあげられている。火災などが起きた際は下部の貫木を抜けば簡単に倒すことができる、奄美独自の知恵がつまった建築物だ。
集落がもっとも活気づく収穫時期。高倉の下には集落の人が集まり、田んぼから刈り取ってきた稲を脱穀し、もみすり・精米後に袋づめをして高倉へ保管。
「脱穀作業のほかにも、皆でナリ(ソテツの実)を割ったりもしとったよ〜」と当時を振り返りながら懐かしそうに尚師さんは話す。ともに汗を流し、会話を交わすその場は、作業を通じた心の交流の場にもなっていただろう。
かつて水田だった場所はサトウキビ畑に変わり、共同作業はなくなった。だが、今でもシマッチュは冠婚葬祭などで当たり前のように力を貸し合う。それは昔から高倉の下で育み、根付いてきた精神によるものなのだ。
「維持するのも大変ど〜」と言いながらも、茅葺屋根からトタン屋根に姿を変えて、尚師さんの高倉は今もその場所にありつづけている。
1961年の写真。刈り入れ後だからか、みんなとてもいい顔をしている。
シマ特有の「結い作業」のために集まる「高倉」には、シマッチュの歴史と思いが詰まっており、まさに「結い精神」の象徴だ。
当時、今よりも貴重だった食料を保管する高倉は集落の人にとって「神聖で大切な場所」だった。現在は本来の用途としては使用されていないが、そんな思いを馳せながら高倉を観賞してみてほしい。
KAWAKAMI-川上集落-
地元呼称:コッチ 世帯数:22 人口:36
赤木名又、鍋比(なべぐる)、上田(あげた)、宇津(うつ)、小森(こもり)、肥田(ひじゃ)の6つの地域で形成された集落。水に恵まれ集落の各地にイジュンゴ(泉)が湧く。川の上流にはダムもあり、赤木名地区の飲料水として使用されている。
時期
POINT
尚師さんのご自宅の庭にある高倉は見学自由。ただし家の敷地内なのでマナーを守って