赤木名観音堂
八月踊り唄で有名な「赤木名観音堂」は薩摩藩のお寺
- 手を交互にあげて足を前へ出しながら、手の平をくるんと反します
- 手を上から斜めに下ろしながら左右へ小走りするよ
赤木名観音堂は、名瀬以北の各集落の八月踊りでは必ず踊る唄だ。唄われている「赤木名観音堂」は、現在の赤木名中学校裏手の小高い山にあったお寺のことである。
江戸時代に薩摩の代官所が里集落に置かれていた。そこに鹿児島の島津家歴代の菩提寺である「福昌寺」の末寺として赤木名観音堂が建立され、薩摩から来た孤独な武士たちの心の拠り所となっていたようだ。
里集落にあった代官所が名瀬の伊津部へ移転が決まり、赤木名観音堂も伊津部に移ることになったが、赤木名住民の反対にあい、移転計画は進まなかった。
結局、文政2年(1819年)に伊津部に移転するまで、なんと20年近くもかかったと言う。
赤木名観音堂石碑がある秋葉神社。赤木名中学校裏にある
八月踊り唄の「赤木名観音堂」は、この「赤木名観音堂は、移る移ると言っているのに、なかなか移らないね」というのが歌詞となった唄で、八月踊り唄の中でも一番新しい唄といわれている。
里集落では八月踊りの時期のほかに、六月灯 と11月の駅伝の日に、赤木名観音堂跡の広場に集まって、皆で八月踊りを踊っている。
11月に毎年行われる”赤木名観音堂祭り”の様子。赤木名観音堂石碑の前で島料理や島酒を持ち寄り、輪になって踊る
里集落は、今は転勤族の多い集落となっているが、移住者も一緒になって唄と踊りの練習をし、楽しんでいるようだ。
八月踊りを、皆で唄って踊り一緒になって楽しむことで集落の団結力も高まる。これから先も集落が栄えていくことを祈る大切な行事となっている。
SATO-里集落-
地元呼称:ハキナサト 世帯数:262 人口:516
江戸時代に奄美大島の政治・経済の中心として栄えた赤木名地区。里、中金久、外金久の3集落で構成され、なかでも里集落は薩摩藩の代官所や武家屋敷があり、当時は特に賑やかだった。
時期
六月灯(7月)・種下ろし(9月下旬〜10月上旬)・笠利町内一周駅伝(11月の夕方から)
POINT
種下ろしは集落の各家を回って踊り、六月灯・駅伝の日には赤木名観音堂石碑の前で踊る。集落以外の方も参加可能