奄美のソウルドリンク“ミキ”。その伝統の味を1世紀にわたり守り続ける「花田ミキ店」の魅力
島モノ
2022/12/06
泉 順義
奄美大島の伝統的な飲み物といえば、島っちゅ誰もがミキを思い浮かべるだろう。
真っ白でほどよく酸味があり、ドロッとしているけど甘くて飲みやすい。キンキンに冷やしたミキを真夏に飲むのは最高に気持ちいい。子供からお年寄りまで幅広い年代に好まれている、まさに奄美のソウルドリンクだ。
乳酸菌発酵飲料のミキは一般家庭でも手軽に作ることができるが、やはりこだわりの味を作り続けている製造元のミキが多くの島っちゅに親しまれている。昔ながらの紙パックの他にもペットボトル・ガラス容器など、製造元によって入れ物も味も多種多様。
島内では、花田ミキ店(奄美市名瀬鳩浜町)、サカエ食品(同小浜町)、東米蔵商店(同幸町)、高野食品(龍郷町)、竹山食品(瀬戸内町)などで製造されている。
今回は花田のミキの製造元「花田ミキ店」代表・花田謙一郎さんに、ミキの歴史や製造工程などを聞いてみた。
神様へ奉納されていたミキの歴史
ミキは夏の祭事(旧暦8月の豊年祭など)で神様に捧げる神酒:みきに由来し、奄美群島や沖縄などで伝統的に作られている。米とサツマイモと砂糖を発酵させたシンプルな飲み物だ。植物系乳酸菌を多く含み腸内フローラを整える健康飲料で、「奄美や沖縄にご長寿が多いのはミキのおかげ」と謙一郎さんはいう。
その起源は諸説あるそうだが、幕末に記された「南島雑話」に出てくる口噛み酒(水に浸けた米を女性が口の中で噛み、唾液で発酵させたお酒)が原型とされ、後に唾液の代わりにサツマイモが使用されて、現在の奄美のミキになったといわれている。
唾液にもサツマイモにもアミラーゼという酵素が含まれ、米の中のでんぷんを糖に分解し発酵させる働きがある。琉球・奄美諸島では、古代から口噛み酒を神酒として祭祀に使用し、その口噛み酒の文化は奄美でも19世紀ごろまで残っていた。
女神の阿摩弥姑(アマミコ)が天から降りて奄美大島を創ったという「アマンデー伝説」。女性の霊力が島を守るという「ウナリ神信仰」。そして女性司祭者ノロや、霊的助言を行うシャーマンであるユタは神々と交信する存在だった。女性によって作られた口噛み酒をルーツとするミキが、神に捧げる神酒として奄美大島に根付いたのは必然だったのだろう。
シンプルだが根気と工夫が必要なミキの製造方法
原料はうるち米とサツマイモと砂糖。作り方は、①米を研ぐ②水で煮ておかゆ状にする③サツマイモを入れて攪拌(かくはん)し発酵させる④砂糖を入れさらに発酵を促す⑤冷まして明朝まで寝かす、の5工程。
花田ミキ店では、注文の多い夏場は1日あたり約360キロものミキを製造している。
(朝8時~)
10キロの米12笊分を水で研ぐ。
沸騰したお湯に研いだ米を入れ、約30分機械で攪拌しながら煮込んでいく。
ドロドロのおかゆ状になったら樽に入れる。(作業を行っているのは長女の美咲さん)
1樽30キロのおかゆ状の米が12樽分(合計360キロ)。これをこのままの状態で常温で3時間ほど冷ます。
(10時~13時くらいまで)
(13時半ごろ~)
米の具合を見計らって、すりつぶしたサツマイモを投入。攪拌機で1時間おきに混ぜると発酵が始まる。
「この工程が一番大事。投入タイミングと混ぜ具合が肝心だが、これは感覚的なもの。そして力仕事なので自分でやるしかない。イモの種類は企業秘密」と笑う。代々引き継がれた“花田ミキ”の伝統の味は、ここに隠されているのかもしれない。
(17時ごろ~)
砂糖を入れ、さらに攪拌し発酵させる。攪拌工程をすべて終えた12樽はこのまま一晩冷ましながら寝かす。その間も発酵は続き、翌朝にはおいしい花田のミキが出来あがる。
祖母の代から三代続く「花田ミキ店」
花田ミキ店の創業は大正時代、笠利村の赤木名に住む祖母・花田シズさんから始まった。当時のミキは各家庭で作り飲むものだったが、シズさんは自作のミキを一升ビンやサイダービンに入れて、集落で行商歩きを始めた。村内だけではなく名瀬の方にも販売に出向いたという。二代目の龍一さん(謙一郎さんの父)の頃には名瀬市(現在の奄美市)に店舗をかまえ、販売網も島内全域に広がった。現在は鳩浜町に店舗を移して10年目。
謙一郎さんは1994年(当時27歳)から家業のミキ作りの手伝いを始め、(2022年現在)55歳の三代目。「ミキ作りは早朝からの体力仕事。食感や甘みなど、繊細な伝統の味を習得するのに10年かかった」と当時を振り返る。
前日に発酵させて一晩寝かせたミキを、朝の4時にパック詰め。そして8時には新しいミキ作りのための米研ぎが始まる。「注文の多い夏場は休みなしで毎日ミキ作り。みんなが夏祭りを楽しんでいる間も自分はひたすらミキ作り」。でも冬の間はゆっくり充電期間になるので「また次の夏は頑張ろう!」と自然と意欲がわいてくる。ミキ文化でみんなが健康になり、長寿の島になり、そんなミキ作りの伝統を守ることに誇りをもっている。
「今はまだ家族経営だが、将来は工場の規模を拡大して鹿児島や沖縄にも販売網を広げたい。健康飲料のミキをたくさんの人に飲んでもらって、ますます元気な島と鹿児島県になってほしい」
これまでは妻・由美子さんと二人三脚で仕入れから製造・販売までやっていたが、今年2月に長女の美咲さん(26歳)が東京からUターンした。「夏の繁忙時にはミキ作りを手伝ってくれて助かった」と夫婦で喜ぶ。
年内には長男の大樹さん(31歳)も福岡から帰ってくるという。「これで伝統の味を引き継ぐことができる。四代目にはさらに大きな夢を実現してほしい」と目を細める謙一郎さん。
“花田のミキ”のいろんな味わい方
“花田のミキ”の最大の特徴は、他のミキに比べてドロッとした感じが少ないこと。「サラサラな口ざわりで飲みやすくほのかな甘み」と多くの人が口をそろえる。冷やして飲む王道もいいが、冬に温めて飲むと体中がほかほかと温まる。最近では黒糖焼酎やパッションフルーツ割りといった島ならではの飲み方など、様々な楽しみ方が増えているという。
「伝統を尊重しつつ、その時代に合った飲み方を楽しんでほしい。10年後、50年後には、また思いもつかない斬新な味わい方になってるかもしれない」
神様への捧げものだったミキ。亜熱帯の風土から生まれ滋養栄養に富み、シンプルな材料で作れるミキは、時代と共に家庭の飲み物となり健康飲料となり、そして奄美大島のソウルドリンクとなった。琉球文化と大和文化がミックスされて奄美独自の文化が出来あがったように、伝統を守りながら独自の進化をするミキの文化。
そんな“花田のミキ”をはじめ島内製造のミキは、各店舗や島内スーパー・商店などで購入できる。それぞれの伝統の味を自分なりの飲み方で楽しんでみてはどうだろうか。
この記事を書いたフォトライター
泉 順義
フリーライター/探検家。北アルプスや塔ノ岳のフィールドワークを繰り返し、ヒマラヤのカラパタール(5643m)に二度登頂する。 2015年、ふるさと奄美大島に帰郷。ウシトリゴモリ(嘉徳)・タンギョの滝(住用)など、秘境の地をこよなく愛する島っちゅ。 地元紙奄美新聞社で自然面を担当。