雄大な景色を眺め、歴史に思いを馳せる。「安脚場戦跡公園」

島景

2016/03/10

ペン

三谷晶子

安脚場戦跡公園からの大島海峡の眺め

奄美大島と加計呂麻島の間に広がる穏やかな海、大島海峡。そして、外洋である太平洋。そのふたつの海を見渡せる場所が、加計呂麻島にある安脚場戦跡公園です。

安脚場戦跡公園の案内板(奄美)

加計呂麻島の東端にある安脚場集落まで車を走らせ、看板の通りに進んでいくとこちらが入り口。トイレはこの上にはないので、ここで済ませて。

広い駐車場はこの看板があるところですが、もう少し上まで車を入れることも可能です。

安脚場戦跡公園、ベンチやテーブルもある

ここまで車の乗り入れは可能です。

安脚場戦跡公園から見下ろす絶景

眼下に広がる景色は絶景のひと言につきます。

この公園はもともとは、第二次世界大戦当時、軍事施設が築かれた場所。

旧海軍が使用した砲台跡や、兵器や弾薬を保管するために作られた弾薬庫、天水貯水地と呼ばれる兵士の飲料水を確保するための貯水槽、防空のために使用された探照灯台跡、戦時中、大島海峡に潜水艦の侵入を防ぐために機雷などを設置した金子手崎防備衛所が、敷地内に点在しています。

安脚場戦跡公園の遊歩像

車を降りたら、遊歩道を散策してみて。

安脚場戦跡公園,施設跡

安脚場戦跡公園、弾薬格納庫

そこかしこにある戦跡は、日本全国を見てもなかなかここまで残っていることは少ない貴重なものだとか。

安脚場戦跡公園から眺める奄美大島

砲台跡からは、穏やかな大島海峡と向かいの奄美大島が眺められます。

現在の平和は、先人の人々のさまざまな歴史と思いがあってこそだと知ることができる場所です。

加計呂麻島には、呑之浦という集落にもかつて特攻隊の基地がありました。

「出発は遂に訪れず」、「死の棘」などで知られる作家・島尾敏雄が、指揮官として赴任した場所には、現在も当時の特攻艇「震洋」が保管されていた場所が残り、復元された「震洋」が展示されています。

島に住んでいるとお年寄りから「奄美が日本に返還されるまで、私の国籍はアメリカだった」と聞くことも、よくあります。

たまたまお話した観光客の方から「叔父がかつて特攻隊の一人として加計呂麻島に赴任していたんです」と聞いたことも。

安脚場戦跡公園に残る戦争の遺跡

この景色を眺めた、かつての人々は、いったいどんな気持ちだったのでしょうか。

美しい景色と、悲しい歴史。

ふたつを知り、思いを馳せながら、訪れてみてほしい場所です。

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この記事を書いたフォトライター

三谷晶子

三谷晶子

作家、ILAND identityプロデューサー。著作に『ろくでなし6TEEN』(小学館)、『腹黒い11人の女』(yours-store)。短編小説『こうげ帖』、『海の上に浮かぶ森のような島は』。2013年、奄美諸島加計呂麻島に移住。小説・コラムの執筆活動をしつつ、2015年加計呂麻島をテーマとしたアパレルブランド、ILAND identityを開始。

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