島唄に残る伝説の美女「むちゃ加那」の碑を訪ねて、限界集落「青久」へ
島唄
2016/05/12
麓 卑弥呼
島唄の歌詞のなかで、美女であるが故に死を招くこととなった悲劇の物語は多い。この悲劇を悼む石碑は各地に存在するが、その一つである「むちゃ加那」の碑を、奄美市住用町の限界集落「青久(あおく)」に訪ねた。
美しすぎる母子の悲劇の物語
島唄「むちゃ加那」の歌詞はこうだ。
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ハレーイ 喜界や 小野津ぬ 十柱 むちゃ加那
青さぬり はぎが 行もろや むちゃ加那
潮や みちゃがゆり 太陽や申時 下がゆりぃ
十柱 むちゃ加那 潮波に引きゃされて
ハレーイ 美らさ 生まりりばよ ハレーイ 同志に
憎まれてよーい
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(解説)悲劇は、母「うらとみ」から始まる。加計呂麻島のうらとみは大層な美人で、薩摩役人に見初められたがこれを拒否。島流しにあった喜界島で結婚し、生まれた娘がむちゃ加那である。むちゃ加那は母を上回るほどの美貌で女友達に妬まれ、アオサ採りをしているときに海に突き落とされ、死んでしまう。その遺体が流れ着いたのが、奄美大島住用の青久集落だという。ちなみに、加計呂麻島に「うらとみの碑」、喜界島と青久に「むちゃ加那の碑」が存在する。
「むちゃ加那節」は別名「うらとみ節」とも呼ばれ、これまで数多くの唄者がその悲しい物語を切々と歌い上げてきた。
住民わずか1人 東端の青久集落へ向かう
青久集落は住用町の東端、市集落の隣。市集落に看板を発見した。7キロとある。
次第に道はアスファルトから砂利道へと険しくなる。それなりに装備した車で向かうのがお勧めだ。
市集落から車15分ほどで到着!現在居住するのは、わずか1人という、まさに限界集落。集落を囲むのは、荒波で角のとれた丸い石のみを使い作られた玉石垣。その長い玉石垣のなかには家が一軒だけ残り、物悲しさは否めない。
集落と海を臨む「むちゃ加那の碑」
石碑は、集落と海のちょうど間にあった。石碑に伝説のいわれが記されている。
「(前略)ここに遺体が流れ着き、青久の人々によって手厚く葬られた。それ以来、青久では九月九日には墓地に詣で、悲劇の娘『むちゃかな』の霊を慰めてきている」。
傍らには、きちんと供え物もある。石碑に向かい、そっと手を合わせた。
むちゃ加那は本当にここに流れ着いたのだろうか。今となっては誰にもわからない。
歌い継がれる島唄を聞くたびに触れることができるのは、そこに溢れる島の人々の強い情感の念。石碑を訪ね、史実にはけして記録されない、島人たちが生きた情景に思いを馳せた。
この記事を書いたフォトライター
麓 卑弥呼
ライター/しーまブログ編集長。東京都出身。大学時代に訪れた与論島にはじまり、縁あって奄美大島の新聞社に新卒で就職。さらに縁あって島人と結婚し、自らが島人となり奄美に完全に根を下ろす。フリーライターなどを経て2014年にしーまブログに入社し、現在に至る。