「暮らしの中にシマ唄を」唄遊びの原風景を取り戻したい「みちびき会」
島唄
2016/03/08
古林洋平
「シマ唄」は、「唄遊び(ウタアシビ)」という、唄者(うたしゃ)がその場に応じた唄を即興で作り、それを仲間同士で掛け合うことで発達してきた。
そして、人が集まれば、誰かが三味線を取り出し、唄をつける唄遊びの場が当たり前のようにあり、娯楽として行われる日常的なものであった。
集落では頻繁に唄遊びが行われ、時には夜が明けるまで唄いあうことも珍しくなかったという。そこには男女の出会いの場があり、今でいう合コンのような(?!)出会いもごく普通にあったとか。
2001年、「みちびき会」は年齢性別問わず、唄の上手下手関係なく、「純粋に唄が好き」な人たちが集まり、自然の流れでできたという。半分は「お酒好き」もあるとか(笑)。
もともと島にあった「唄遊び」の原風景を取り戻したいという思いで、「暮らしの中にシマ唄を」をベースに現在11名ほどでシマ唄を楽しんで集っている(来るもの拒まず、唄好きであれば誰でも遊びにおいで〜、と(笑))。
「みちびき」の名前の由来は奄美シマ唄にある「行きゅんにゃ加那節」の一節からとったもの。
節:「なつかしゃや みちびき三味線の なつかしゃや〜」
意味は、仕事を終えた男性が道を歩きながら三味線を爪弾くと、その音色に誘われて、家の中から美しい女性が出てくるのでしょうか、という内容。
「なつかしゃ」とは、奄美では人の人に対する愛着など、心が揺れる瞬間、心の「琴線」に触れた時に、自然と言葉にでる表現としての意味で使われる。また、「みちびき」とは「道」を歩きながら三味線を爪弾くということらしい。
娯楽の多様化により、昔のような、隣近所から唄遊びによる三味線の音や太鼓の音、道弾き三味線の音などは、家々のテレビの音にさえぎられ、いつしかシマの人々の耳に届くことも少なくなってきた。
また、シマ唄の演奏もステージ化が中心になり、伝承の場も教室に限られるようになってきている。昔本来の「シマ唄」の姿がなくなりつつある。いつしか唄遊びの場で唄いあい、楽しんでいたシマ唄は、人に聴かせる唄へと変わっていき、歌詞のやりとりの面白さよりも、声の良さや節回しの良さが強調されるようになった。
「私たちはプロではない、ただただ、シンプルにシマ唄を学びながら、楽しんでいる。地域の人達とシマ唄を通して触れ合いながら活動していければ」と。
みちびき会の唄遊びに参加させていただく中で、その場に対しての緊張感もなく、そこに自然と溶け込めた。それは、唄う側、聴く側の壁がなく、シマ唄の知らない側も一緒になったということ。
みちびき三味線のように、どこからともなく、三味線の音色が、風とともに聞こえてくるような、奄美の原風景の文化が残って欲しいと切に願う。
この記事を書いたフォトライター
古林洋平
フォトグラファー/写真家。古林洋平写真事務所。奄美2世。広告・カタログ・ファッション等の撮影を手掛ける傍ら、ルーツである奄美を独自の視点でとらえ、国内外において写真展等で発表する。また、全国の高校生たちと向き合い、撮影をする「青い春」など、精力的に活動。