海と貝と人とのコラボレーション。奄美の人々が100年以上にわたり守り続けた輝く真珠「マベパール」

島モノ

2016/03/08

ペン

三谷晶子

マベパール

真珠、というと宝飾品というイメージが浮かぶ。けれど、奄美サウスシー&マベパール株式会社代表取締役の安樂さんは、「真珠は生き物だ」と語る。

「要はサラブレッドを作るのと同じなんです。いい真珠を作るためには、まずは貝が重要。いい真珠を作る貝を掛け合わせて、“貝のサラブレッド”を生み出す。そこから、真珠づくりが始まります」

大きな真珠を作る貝、形のきれいな真珠を作る貝、色のきれいな真珠を作る貝。さまざまな個性を持つ貝を掛け合わせ、これぞ、という真珠を作る貝を生み出す。

プテリアペンギン

一つの貝が大きくなるのに必要な時間は最短でも4年。その貝から製品として売り出せるレベルの真珠が取れるようになるまでは、16年もの月日がかかる。

奄美サウスシー&マベパールが作るマベパールは、日本では奄美大島でしか養殖されていない。それはまず、奄美大島はマベパールを作る天然のマベが生息している群生地の北限であるからだ。

マベは熱帯・亜熱帯に生息する二枚貝。大きさは20~30センチに及び、学名を「プテリアペンギン」という。貝の形状が、ペンギンの翼に似ているからそう名付けられた。

マベパール

マベパールの特色はレインボーパールと呼ばれるほどの色の美しさと多様さ、テリと輝き、そしてさまざまな形を作ることができるところがあげられる。

真珠というと真円のイメージだが、マベパールは半円だ。
アコヤ貝などの真円の真珠を作る貝には、核を貝のお腹の中に入れる。ところがマベパールは貝肉が筋肉質であるため、核をお腹の中に入れると吐き出してしまうそうだ。
そのため、マベパールを作る場合は貝の縁に近い真珠層に張り付ける形で核を入れる。そのため、さまざまな形を作ることが可能になるそうだ。

真珠職人の男性

奄美大島の真珠の養殖の歴史は明治43年に遡る。そもそもは、食用として採った貝の中から偶然に見つけた真珠を自分の手で作りたいと願うようになったのが発端だ。それから核の入れ方、貝の育て方を試行錯誤し、マベでの真珠養殖技術は順調に発展していく。

しかし昭和15年。戦時色が強まり、ぜいたく品を規制する動きが始まる。真珠養殖も例外ではなく規制を受け、奄美の人々の真珠作りの夢は一度絶たれた。

その後、日本は敗戦。焼け跡から立ち上がり、奄美の人々もまた真珠作りのために動き出した。

昭和28年12月。戦争終了後も長く米軍統治下に置かれていた奄美群島がようやく日本へ返還され、奄美の真珠はようやく自由に世界各国と取引を行える状態になった。

真珠づくりに携わる男性

現在も新たに天然のマベを購入するとき、奄美サウスシー&マベパールでは地元の漁師の方々にマベを採ってきてもらうという。手作業で核を入れられた貝は、奄美大島の養殖場で海の中で育てられ、そして人々の手にわたる。

マベパール

「もっと、奄美の真珠の歴史を皆さんに知ってほしいんです。2015年に奄美大島・古仁屋に弊社のマベパールを取り扱うショップがオープンしました。まずはマベパールの魅力を知ってほしい、感じてほしい。ですから皆さん、お気軽にいらしてくださいね」

安樂さんは、そう語る。

マベパール

奄美大島でしか作れない、海と貝と人々が作るコラボレーション作品「マベパール」。
奄美の自然と先人が守ってきた伝統で作られる真珠の物語を、あなたも感じてみては?

《特産品の詳細は のんびり奄美にて掲載中!》

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この記事を書いたフォトライター

三谷晶子

三谷晶子

作家、ILAND identityプロデューサー。著作に『ろくでなし6TEEN』(小学館)、『腹黒い11人の女』(yours-store)。短編小説『こうげ帖』、『海の上に浮かぶ森のような島は』。2013年、奄美諸島加計呂麻島に移住。小説・コラムの執筆活動をしつつ、2015年加計呂麻島をテーマとしたアパレルブランド、ILAND identityを開始。

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