心の中にある「架空の島」を本当に。アウトドアウェアブランドdevadurga代表:島崎仁志
島人
2016/03/08
三谷晶子
18歳。高校を卒業すると、奄美大島に生まれ育った人々は大抵、一度は島を出るという。島崎さんも、その一人だった。
「もともと兄が自衛隊に勤めていたんです。同級生が就職や進学で忙しくなる中、高校三年生の10月には兄の紹介で自衛隊に就職が決まりまして。今、振り返れば卒業までの半年間、遊びたいがための選択でした」
配属先は、千葉県の陸上自衛隊の駐屯地。入隊して1週間で、辞めたくなったと島崎さんは言う。
「外出もままならず、18~20歳の皆が遊んでいる頃に、塀の中に閉じ込められたような心境で。でも、入隊の時に2年間は辞めないという誓約書を書いていたから辞められませんでした。その時に、ここを出たら本当にやりたいことをやる、と決めたんです」
高校生の頃から洋服が好きだったという島崎さんは、自衛隊を退職してすぐに原宿にあるストリートブランドショップに就職をした。
「当時は裏原ブームの最盛期でPatagoniaが原宿にオープンした頃。勤めていた店も、一ヶ月2000万円の売り上げがあり、毎日、本当に忙しかった」
島崎さんは、そもそも、島を出る時から、36歳までには島に戻る、と決めていたという。
「人生の半分以上を島以外の土地で過ごしたくはなかったんです。そうなると、36歳までには島に戻らなきゃいけない。島で、好きな洋服の仕事をしていくにはと考えると、自然と独立することになりました」
島崎さんが立ち上げたアウトドアウェアブランドdevadurga(デヴァドゥルガ)は、奄美大島に伝わる伝統産業、大島紬の生産工程の一つである染色法、泥染をテーマとしている。泥染は防虫、防臭、色褪せ防止効果などさまざまなメリットが含まれ、化学染料を使用しない。奄美大島に自生するテーチ木と奄美にしかない鉄分豊富な泥を使い、全て手作業で染められていく。
「アウトドアウェアブランドをやりたい、と思ったのも、奄美の自然があったからこそでした。もともと、山や森が好きで、東京にいた頃も奄美はもちろん海外でも登山やキャンプに出かけていたんです。泥染は、自然がないと作れないもの。自然の中で、自然と共有できるようなアウトドアウェアとして、泥染を使用するのは僕の中ではマストでした」
取引先も決まっていない状態で展示会を行ったが、今までにないアウトドアウェアということで、話題を呼び、順調に取扱店舗を増やしていった。
「取扱い店舗が増え始めて思ったのは『ようやく奄美のために何かできた』ということです。その後、2010年の奄美の豪雨災害ではTシャツを売り、170万円の義援金を集めることができました」
自分の好きなこと、得意なことで島のためになることができる。そう思えたときに、結婚をし、子どもが生まれた。
「子どもが生まれて、もっと自然に向き合える環境に行きたいと思ったんです。予定よりも早く島に戻ることを決めました」
2014年に島に戻り、8月には奄美市の中心部名瀬に初の直営店GUNACRIB(グナクリブ)をオープン。そして、翌年2月には奄美大島初のキャンプフェスティバル結ノ島CAMPを開催する。2016年2月にも第2回目を開催し、島内はもとより島外からも集客し、数々のメディアに取り上げられた。
「島から出た18歳の頃、奄美のことを島外の人は誰も知らなかったんです。奄美大島出身と言うと『どこどこ?』と言われるのがすごく嫌でした。2002年に元ちとせさんがデビューして、ようやく奄美の名前が知られるようになるまで、九州出身と言ってごまかしていたこともあります」
けれど、今は、当時の自分に「島が好きなのに、島を恥ずかしいと思っていた自分こそ恥ずかしい」と言いたい、と島崎さんは語る。
「先輩方が奄美をアピールしてくれて、ようやく奄美の名前が少しずつブランド化していった。だから、僕ももっと奄美ってところを自信を持って言えるようにしたいんです。結ノ島CAMPの『結』は島の言葉で、「結束し、協力し合う精神」のこと。結ノ島、という地名は奄美に実際はないのですが、僕はこの島にいる人の心には全員『結』という気持ちがあると思います。自然と人との『結』も、人と人との『結』も」
ゆくゆくは奄美に縫製工場を作りたい、と語る島崎さんに「忙しい?」と聞くと「忙しいです! でも、毎日が本当に楽しいです」と言った。
輝く目に、自分の夢も、皆の夢も叶える人は、こういう人なのかもしれない、と思った。
心の中にある、架空の島を本当にする。
奄美大島のこれからが、少し、見えたような気がした。
この記事を書いたフォトライター
三谷晶子
作家、ILAND identityプロデューサー。著作に『ろくでなし6TEEN』(小学館)、『腹黒い11人の女』(yours-store)。短編小説『こうげ帖』、『海の上に浮かぶ森のような島は』。2013年、奄美諸島加計呂麻島に移住。小説・コラムの執筆活動をしつつ、2015年加計呂麻島をテーマとしたアパレルブランド、ILAND identityを開始。