島人の、島を思う心に火をつける“ハート屋”:麓 憲吾
島人
2016/11/24
gooh
「音楽で島興しを!」と、1998年にライブハウス兼レストランバー「ROAD HOUSE ASIVI(アシビ)」をオープンした麓憲吾さん。
当初は、地元ミュージシャンのイベントを開催していましたが、その後は、島外のミュージシャンも数多く訪れるようになります。
そんな中、島外のミュージシャンから、「奄美の島唄はすごい!」と言われるにつれ、島唄の存在を再認識した麓さん。
「島唄や島の文化に対して、無知だったことに気付かされた」と言います。
「サーモン&ガーリック」の新元一文さんから、「島唄や島のモノ・コトを伝えるイベントをしたい」と声をかけられ、2001年に「夜ネヤ、島ンチュ、リスペクチュッ!!」を開催。
2002年には、「都会で頑張る島人(シマッチュ)にも、島で生まれ育ったことに自信と誇りを持ってもらいたい」と、東京で「夜ネヤ」を開催。大盛況に終わります。
その後、“イベント(=非日常)”でのメッセージ発信も大事だけれども、“無意識(=日常)”の中へこそメッセージを発信したいと考えた麓さん。
コミュニティFMの開局を決意します。
2004年に「NPO法人ディ」を設立。
3年後の2007年5月、「あまみエフエム ディ!ウェイヴ」が開局しました。
島内にいくつも集落があり、方言も異なる奄美大島。
島口(島の方言)による放送を聞いたリスナーから、「うちの集落ではそんな島口は使わない」などのコメントが寄せられたというエピソードも。
「島のモノ・コトに“無意識”だった島人に、“違いを認め合う”というアイデンティティーが芽生えてきたことが嬉しかった」と麓さんは言います。
2010年10月の奄美豪雨災害時には、5日間、24時間体制で災害放送を実施。
「あまみエフエム」の取り組みは全国に知られるようになります。
2012年、サテライトスタジオ「末広市場ディ!放送所」を開設。
昔ながらの雰囲気が残る市場の一角に設けられたこのスタジオは、「リスナーと顔を合わせてコミュニケーションをとることができる、自分たちの理念を現した場所」と言います。
「島のアイデンティティー」をテーマに、イベントやラジオなど、様々な取り組みを行ってきた麓さん。
自らを、「ハード屋でも、ソフト屋でもなく、“島の気持ちづくりをするハート屋”」と呼びます。
次世代に、「島で生まれ育ったことに自信と誇りを持ってもらいたい」。
これからも、島人の、島を思う心に火をつけ続けます。
この記事を書いたフォトライター
gooh
事務職/ライター/元ダイビングインストラクター。はじめて島の海で泳いだ日から島の海の美しさのとりこになり、単身で移住してしまった奄美3世。趣味はスクーバダイビングと写真撮影、そして旅。休みの日は、カメラ片手に海に入ったり、ドライブをしたり、美味しいものを食べ歩いたり。まだまだ島を探検中の新米ライター。大阪府出身。