生き物たちと手を取り合って未来をつくる。奄美大島の自然を映し続ける写真家 浜田太さん
島人
2022/01/14
田中 良洋
「風になれ。」
人の背丈ほどある大きな葉を携えたヒカゲヘゴ。白くモヤがかかり、うっそうと茂る森の中でたたずむエキゾチックな女性。
まるで古代へタイムスリップしたような気持ちになるこのポスター。空港などで今でも掲載されているため、目にしたことがある人も多いのではないでしょうか。
このポスターを作り、奄美大島の森の豊かさを世間に広めたのが写真家の浜田太(ふとし)さん。1953年に奄美大島で生まれ、今でも山に籠り、生き物たちの『真の姿』を伝え続けています。
世界自然遺産になる以前から、ずっと奄美大島の自然を見守り続けた浜田さん。活動の経緯や、世界自然遺産になった今だからこそ思うことをお聞きしました。
ふるさとにも自分自身にも自信がなかった
浜田さんは奄美大島の高校を卒業したのち、写真の大学へ進学。出版社の写真部に3年勤め、その後は海外を放浪しながらフリーの写真家として活動していました。
「カメラマンと写真家は違うと思っています。カメラマンは依頼された写真を高い技術で撮る人。写真家は自分が何を表現するのか、哲学を持って撮る人が写真家だとぼくは思っています。」
浜田さんは出版社で勤めているとき、哲学を持ち、自分が表現したいものを追求し続けている著名な作家や作品にたくさん出会いました。その人たちのように生きたいと憧れはありましたが、なかなか表現したいものが分からず、1979年、26歳のとき奄美に戻ってくることに。
ある日、ホテルのエレベーターで旅人たちと一緒になったときのこと。
「奄美はどこに行ったらおもしろいですか?」
何気なく聞かれた質問に浜田さんは吐き捨てるように答えてしまった。
「奄美なんかにいいところありますかね。」
それを聞いた旅人たちは「地元の人がこれじゃあなー。」とこぼしながら去っていきました。
当時のことは鮮明に覚えていると話す浜田さん。自分のふるさとであり、これから自分が生きると決めたところなのに、何も答えられなかった自分が恥ずかしかったと言います。
写真家としてアマミノクロウサギを撮ると決めた
都会で挫折して帰ってきて、自分のふるさとにも自信が持てなかった浜田さんですが、このままではいけないと感じ「自分にとっての奄美らしさとはなにか」を考えるようになりました。
それまでは、奄美大島のことを周りと比較して見ていました。沖縄と比べて海はきれいではないし、山も高い山はない。なにもかもが中途半端な場所だと感じていました。
「あの旅人から言われた一言から意識が変わりました。目の前にあるすべてが奄美なんだ。良いとか悪いとかではなく、映る全てが奄美と思うようになりました。」
ある日、こどもたちと一緒に夜の金作原原生林へ。初めての夜の森。今のように林道が整備されていない時代です。そこで初めて野生のアマミノクロウサギを見かけたのです。
アマミノクロウサギという特別天然記念物がいることは知っていました。しかし、当時は「ケンムンが出る」「ハブがいる」と言われ、夜に森に入る人などほとんどいませんでした。こんなに簡単に特別天然記念物が見られることにびっくりしたと言います。
それから、取り憑かれたようにクロウサギの痕跡を撮り続けました。誰に頼まれたわけでもありません。地元の人からは「フリムン(奄美大島の方言で「頭がおかしくなった人」のこと)じゃや。」と言われることもありましたが、直感で「自分にはこれしかない」と思い、浜田さんの写真家としての活動が始まりました。
奄美大島の森を有名にしたポスターの制作
1991年のこと。名瀬市(現在の奄美市)が観光ポスターを作ることになり、企画コンペが行われました。そこで作られたのが冒頭の「風になれ。」のポスターだったのです。
ですが、この制作も一筋縄でいきませんでした。
「内地の大手広告代理店も参加する可能性があった。まだ何の実績もないぼくの会社は全然相手にされないと思い、ぼくにしかできないことをひたすら考えました。ずっと森に入り続けていたので、奄美の森の奥深さを知っていた。だからそれを表現したいと思ったんです。」
奄美大島のスケール感を表すために海と森をセットにして企画を出し、なんとか勝ち取りましたが、課長から「森はいらない」と。担当者に「絶対いけると思う。ダメだったらお金は返金しますから」とむりやり押し通して制作に至りました。
周りからの期待は低かったポスターですが、ホテルに貼り出されるや、観光客から「あの場所に行きたい」とリクエストが殺到。整備されていない道を案内するタクシーはとても大変だったようです。
このポスターのお陰で奄美大島と沖永良部が「ゴジラとモスラ」「ゴジラとスペースゴジラ」の撮影の舞台になりました。
1996年にはアマミノクロウサギの子育ての様子の撮影に成功し、1999年にNHKと共に番組を制作。奄美の自然が世界的に注目されるきっかけになりました。
2017年には、世界最大位級の自然写真コンテストとしてスミソニアン自然史博物館が主催するネイチャーズベストフォトグラフィー動画部門で、アマミノクロウサギの子育て映像が優秀賞を受賞し、米国ワシントンD.C.にある国立スミソニアン自然史博物館で年間放映され、授賞式にも参加しました。 いわばアマミノクロウサギが私たち奄美を世界の舞台へ導いてくれたとも言えるのです。
2021年、奄美大島は世界自然遺産に登録され、自然を撮影してきた第一人者として浜田さんがメディアに取り上げられることが増えています。
生き物たちと手を取り合って未来をつくる
「世界自然遺産になれたのは、なんといってもここに住む生き物たちのおかげ。彼らがいなければ、なんの注目も浴びなかった。これからは、一緒になって未来をつくっていきたい。」
奄美大島の自然の真の姿を伝えたい。その一心で森にこもり、自然に向き合い続けてきました。そんな奄美大島の自然が世界に認められた。登録されたときは、喜びでいっぱいだったと言います。
かつては人間の都合のために木々を伐採したり、外来種を放ったりしたこともありました。それでも生き物たちは生き延びてくれた。そのおかげで今があります。
かつては「いいところなんてありますかね。」と言っていた浜田さんでしたが、今は違う。島に住む人々が自然の素晴らしさを伝えることで、価値あるものになった。奄美大島の自然が世界から認められたのは、先輩たちや自然を守ってきた人々の努力の結晶です。
これからは、生き物たちと手を取り合いながら経済効果も得つつ、持続可能な未来をつくっていくことが大事だと話します。
季節ごとの姿をゆっくりと楽しんでほしい
奄美大島にも季節があります。2月ごろ、虫が地面から這い出てくると虫を食べる野鳥の動きが活発に。3月ごろは新緑で鮮やかな緑が広がり、梅雨はカエルなどもよく見られ、カエルを食べるハブも活性化します。夏が近づくとリュウキュウアカショウビンが、秋にはサシバが空を舞います。
「奄美大島の自然の魅力は、懐の深さだと思います。いろんな見方ができる。ぼくは、自然は時空を超えて太古と未来を旅することができる場所だと思う。」
季節や天候によって表現を変える奄美大島の山。晴れた日は、木漏れ日が差して緑が輝き、雨が降ると木々がよりうっそうとします。霧がかかれば幻想的な雰囲気になり、まるで恐竜でも出てきそうなほど。
人類がうまれるずっと前から、この森はここにあり、そしてこの先もずっと、わたしたちがいなくなったあともここにある。そんなことをつい考えてしまいます。だから浜田さんは、自然は時空を超えて太古と未来を旅ができる場所だと言います。
アマミノクロウサギを中心に、真の自然の姿をカメラにおさめ続けた浜田さん。まだまだ奥深い奄美大島の自然をカメラにおさめるべく、今でも森に籠り続けています。
この記事を書いたフォトライター
田中 良洋
映像エディター/予備校スタッフ 兵庫県出身。奄美群島の文化に魅かれ、2017年1 月に奄美大島に移住。島暮らしや島の文化を伝えるために自身のメディア、離島ぐらし(https://rito-life.com/)を運営する。