輪になって踊り、唄い、食べ、飲む!熱気渦巻く「佐仁の八月踊り」
島唄
2016/06/01
泥ぬ マコ
写真提供:観光ネットワーク奄美
一年で最も盛り上がる「アラセツ」「シバサシ」
旧暦の8月、奄美大島はたくさんの行事が目白押しの時期。島を出た人たちも大勢帰省し、集落に活気があふれ盛り上がります。
その中でもヒートアップするのが「アラセツ」「シバサシ」「ドンガ」などの八月踊りです。
八月踊りは島に伝わる伝統芸能で、三味線、チヂン(手持ちの太鼓)そして島唄を唄いながら、集落の家の庭で輪になって踊るもの。
たくさんのご馳走とお酒が振る舞われる、大人も子供も楽しみにしている行事です。
八月踊りの振り付けや唄は集落ごとに特徴があり、それぞれ違っていますが、島の最北端に位置する「佐仁集落」は特に有名なんです。
そこで「佐仁八月踊り保存会」会長の前田和郎さんにお話を伺いました。
八月踊りの由来とは?
八月踊りの由来は諸説ありますが、「もともとは神様たち(ユタ神様とノロ神様)の神事だった」と教えてくださった前田さん。
五穀豊穣や健康祈願のためと説明されることも多いのですが、「火事除け」の意味があるんだとか。
だから「アラセツ」は旧暦8月の丙(ひのえ=火)に、「シバサシ」は壬(みずのえ=水)に始まるそうです。
※年や集落によって、現在では八月踊りの日程なども変わることもあります。
昔は早朝に踊り始め、集落の一軒一軒すべての家を回って、終わるのは深夜でした。
現在は夕方4時から夜10時ごろまでになり、回る家も1日5件となったそうです。
独特な唄い回しと島口(方言)が佐仁の特徴
写真は八月踊りのイベントの時のもの
佐仁の八月踊りで、まず特筆すべきは「唄」。
佐仁の島唄は伸ばして唄う時にも節が付くんです。
「あーーー」ではなく、「あ~~~」というイメージでしょうか。
また、佐仁の方言は「ぱぴぷぺぽ」を使うといいます。例えば「花」は、「はな」→「ぱな」となるんだそうです。
これは島口の中でも古くからのなまりで、「佐仁集落は地形的に周囲の集落とは離れているため、文化が来るのが遅かったのが影響しているのでは」と前田さん。言葉だけでなく料理にも違いがあるそうですよ。
「島唄の特徴は、裏声を使うとろこにあります。日本で裏声を使う民謡はほとんどありません。
それから、島唄は誰かが作詞作曲したものでなく、島の生活がそのまま唄になったもの。大半は実話が元になっています。
多くは悲劇を描いており、その悲哀を裏声を多用することで表現しているんです。」
と、唄者(島唄の歌い手)である前田さんは語ります。
紬と共に歩んできた佐仁集落
佐仁は郷土芸能が盛んな土地で、かつては紬の町でした。
昭和30年ごろ、集落の90%は紬関係の仕事をしていたといいます。
しかし、紬に係る仕事の賃金が安くなると共に衰退、佐仁の人口も減少。
島唄が上手でも、仕事がないので集落を出ていく若者が多いのが現状で、お年寄りが残され、後継者が育たないのが悩みの種だそうです。
とはいえ、行動派の前田さん。リーダーである「佐仁八月踊り保存会」には、現在40~50名が在籍中です。
他にも家や公民館で、小学校でも唄や踊りを教えたり、年に50~60回もイベントなどに参加するなど、精力的に活動しています。
観光客も大歓迎!
写真は八月踊りのイベントの時のもの
島の生活と密着している集落行事。部外者が入ってはいけないんだろうな……。というような心配はいりません。
八月踊りを目当てにやってくる観光客も多いそうですよ。
一緒に盛り上がったり、郷土料理を食べたり、楽しく飲んだりするのは大歓迎なんです。
※参加する場合、強制ではありませんが「花代」(お金)を気持ち程度渡すようにしましょう。
「佐仁の夕日は奄美一美しい」と前田さんはおっしゃいました。
少しだけ秋の気配を感じる旧暦8月、美しい夕日とともに始まる八月踊り。
心地よい風と徐々に高まる熱気、そして朗々と響く力強い歌声と三味線、チヂン
に誰もが高揚感を覚えるでしょう。
鹿児島とも沖縄とも違う、でもどこか懐かしいような独特な雰囲気が、八月踊りならではの醍醐味。
目の前でその熱気と迫力そして唄に酔いしれてみませんか。
写真協力:観光ネットワーク奄美
この記事を書いたフォトライター
泥ぬ マコ
ライター/編集。出版社・WEB制作会社を経て現在はフリーランス。ふらふらと辿りついた奄美大島で子育て中。PR記事や取材記事のほか、キャッチコピーや企画・構成・編集も請け負っています。泥ろぐ(https://doronumako.com)にも奄美情報ありますよー!