奄美大島で島唄ゆかりの地と信仰の地を歩く ~芦花部集落めぐり~
島景
2017/02/04
gooh
名瀬市街地から東シナ海沿いの県道を龍郷町方向に車で走ることおよそ30分。
カツオの一本釣りで有名な大熊漁港を過ぎ、奄美カントリークラブのある峠を下ると、海辺に有良(あった)集落が広がります。
有良集落から海沿いを少し走ると、目的地の芦花部(あしけぶ)集落に到着します。
芦花部集落は三方を山に囲まれた自然豊かな場所で、今では島内でほとんど見ることがなくなった水田が残る数少ない集落のひとつです。
山に囲まれた静かな集落には、島唄伝説のほかにもさまざまな史跡があります。
島唄にも歌われた伝説の美人と、美人になれる川
集落めぐりで最初に訪れたのは、奄美市の一集落1ブランドに認定されている「芦花部一番」の碑。
芦花部一番の碑には、芦花部一番の美人と評された女性“バア加那”にまつわる島唄「芦花部一番」の歌詞が書かれています。
碑の横には白川(しろご)と呼ばれる川が流れており、この水で顔を洗うとたちまち美人になるとか。
碑を訪れた際には、ぜひ、試してみて下さい。
ちなみに、筆者が訪れた時は上流の砂防ダム工事のため水が止まっていました。残念…。
戦前に建てられた白い芦花部教会に癒される
次に訪れたのは、集落で一際目を引く白亜の建物、芦花部教会。
1929年に建てられた芦花部教会は、戦前の姿を残している島内でも数少ない教会のひとつです。
教会は木造2階建てで、外壁は10年ほど前に信徒の方々の奉仕作業によって美しく化粧直しされています。
聖堂の内部は、木製の机と椅子が整然と並べられています。
華美な装飾はありませんが、波打つような板張りの天井の美しさに目を奪われます。
窓からはやわらかな光が差し込み、心落ち着くおだやかな空気が流れているように感じます。
芦花部で過ごした西郷隆盛を偲ぶ南洲神社
教会の次は、芦花部教会の隣りに建つ南洲神社へ。
鳥居をくぐり参道を上っていくと、途中に大きなガジュマルの木があります。
境内にはどっしりとしたコンクリート作りの拝殿があり、本殿は拝殿よりも一段高い場所に建てられています。
南洲神社の創建は戦時中の1940年で、現在のコンクリート作りの拝殿は1968年に再建されたものです。
鹿児島県神社庁のホームページには、南洲神社の御祭神は南洲西郷翁(西郷隆盛)で、由緒は「区民は、西郷翁の御感化を深く銘じ、その威徳を不朽に崇拝して教訓を偲び、尽忠報国の丹誠を奉斎するものである」とあります。
薩摩藩主島津久光から奄美大島に潜居を命じられた西郷隆盛は、およそ3年間を龍郷で過ごします。
そのうちの半年ほどを芦花部の島役人のところで過ごし、浜に打ち上げられた鯨の捌き方を指導するなど、集落の人々と交流があったそうです。
芦花部教会と南洲神社がある場所は「コクナ山」と呼ばれる神の山で、神社の創建前は、地域の豪農が建てた稲の豊作を祈る氏神様の石碑があったそうです。
教会と神社が隣り合って建っているのも、この場所が古くから集落の人々の信仰の地であるがゆえといえるでしょう。
芦花部めぐりの締めくくりは、海辺でのんびりと
集落歩きの締めくくりは、集落から少し離れた海辺で散策を楽しみましょう。
海辺の小屋にはテーブルとベンチがあり、青い海を眺めながら、歩き疲れた身体を休めることもできます。
三方を山に囲まれた静かな集落に今も残る島唄ゆかりの地と信仰の地。
次に名瀬を訪れた際は、にぎやかな市街地から少し足を延ばしてみませんか。
参考文献:福山勇義著『芦花部誌』
この記事を書いたフォトライター

gooh
事務職/ライター/元ダイビングインストラクター。はじめて島の海で泳いだ日から島の海の美しさのとりこになり、単身で移住してしまった奄美3世。趣味はスクーバダイビングと写真撮影、そして旅。休みの日は、カメラ片手に海に入ったり、ドライブをしたり、美味しいものを食べ歩いたり。まだまだ島を探検中の新米ライター。大阪府出身。