旧盆 〜冥界に一番近い島の、美しく温かい三日間〜
島コト
2018/09/24
竹内 聡
「親や先祖のおかげど」
奄美の島民は、お盆の行事を夏の一大フェスのごとく盛大に、手間暇をかけて祀ります。
「昔からこうやってしてるだけっちょー」
理由をオジに聞くと、島の人らしいシャイな言葉が返ってきます。
先祖の霊を供養するお盆のルーツは、
飛鳥時代に中国から運ばれた荊楚歳時記(けいそさいじき)という仏教の書物。
しかし、色とりどりの宗教が混ざり合う小さな島は、仏教に特別信心深いわけではありません。
もう少し粘って、オジに話しかけました。
「親がそうしてたからや〜」
先祖を思いやることは先祖が教えてくれた。
だから先祖を思いやる。
オジ、細かいことはあまり気にしません。
『うやふじぬうかげどー(親や先祖のおかげだよ)』
という言葉だけが脈々と受け継がれ、まるで仏さんが隣にいるかのようなおもてなしは、オジにとって至極当然のことなのです。
今では本土のほとんどが新暦でお盆をしますが、島では旧暦。
送り盆の旧暦七月十五日は必ず満月です。
自然の摂理に沿ったサイクルが残るのは、農作業中心の生活がつい最近まで続いていた島だからでしょうか。
「うちはここだよ」
お盆は七夕(旧暦七月七日)から始まります。
七夕飾りには、短冊に記した願いを込める他にもう一つ大事な意味を持ちます。
地上に降りてきたご先祖様は、風のようにフワフワと不安定です。
そこで迎え入れの時に迷うことなく家まで里帰りできるように、笹はできるだけ天高く伸ばし、飾りは家々オリジナルのもので彩ります。
七夕飾りは自宅の目印となるんですね。
ちなみに島では大きな竹を切り出し、飾りにします。
あれ、七夕飾りは笹の葉じゃなかったっけと思いましたが、
そう、細かいことはあまり気にしません。
旧暦の七月七日から1週間。七夕飾りが夏の風に揺られるとお盆がやってきます。
「バアバ、おかえり」
ヤスダ家は奄美市名瀬在住。
お盆の初日である「迎え盆」の旧暦七月十三日。
今年も提灯とバケツとお花、お酒と線香をテキパキと荷台に詰めたら家族みんなで車に乗り込み、仏さんをお迎えに行きます。
ヤスダ家のジイジとバアバは島の最北端、奄美市笠利町佐仁集落のお墓に眠っています。
1時間ちょっと、東シナ海沿いを北へなぞると到着です。
全石オーシャンビューの一等地。
まるで仏さんたちがお墓から海を眺めているかのようです。
島のほとんどのお墓は、集落でもっとも眺めの良い場所や縁起の良い場所に設けられています。
家の中で仏壇が一番尊いのと同じように。
地域の中でも仏さんが一番尊いのです。
ジイジとバアバをお迎えするためにお墓を綺麗に掃除してお清めしたら、提灯に火を灯してお出迎えします。
提灯はユラユラと降りてきた二人を家まで案内するカーナビのような存在。
ここから家の仏壇に入るまでの行程は、寄り道は禁物。
ご先祖を道に迷わせる行為をしてはいけません。
無事お家に到着。
仏壇に着座してもらいましょう。
今日から送り盆までの3日間は、精進料理や果物、お茶などを仏壇や盆棚にあげて、一緒に食事をします。
1日3食+3時のおやつまで供えるグルメなお家もあります。
厨房は大戦争。正月よりも忙しいと言います。
お盆の間は、霊が地上にたくさんさまよっています。
特に冥界との境である海や山に行くと、霊に引っ張られるので近づいてはいけません。
パパやママは親戚の家を回り、子供たちは家で宿題や自由研究をしたりします。
日が暮れて親戚が集まったら、宴の始まり。
皆が居間でワイワイと過ごす縁側で、夜風に揺れる提灯の明かりが島のあちこちで見られます。
「また正月、ここでね」
送り盆の日、ヤスダ家では代々「黒椀」をこしらえます。
「黒椀」とは、黒いお椀に入った汁のこと。奄美大島では、祝いの席などで必ず用意する伝統の汁ものです。
お椀に盛り付ける品は、七種。
「昔何が入ってたか忘れちゃったから、自分の今入れたいものを七種入れているんだよね」
と、準備するパパが苦笑を浮かべながら教えてくれました。
「ホントはこんなの面倒なんだよね〜」
そんな言葉とは裏腹に。
碗を作るパパの指先には、もてなしの心と愛情が宿っているようでした。
お盆の間は案外不思議なことが起きます。
実は今年のヤスダ家でも火がつかなかったり、移動中の車が突然故障したりと、奇妙な出来事が続きました。
最後の食事の直前でもそれは起こりました。
並んだ料理を前にして座りパパが机になんとなく指を擦り付ける仕草をしていると、ふと思い出しました。
「あ、これオヤジの癖だ」
ご先祖様のしわざでしょうか。
パパに乗り移って返事をしたのかもしれません。
「無理なく、楽しくね」
『迎えは早く、送りは遅く』
夏の日差しもすっかり傾きジイジとバアバのお腹もいっぱいになったところで、いよいよ仏さんたちの「送り」に出発します。
「迎え」で通った道と同じルートで、再びお墓に向かいます。
道草と同じように、迷わせないようにってことか…と思っていたら、ヤスダ家パパは車を停めてコンビニに寄っていました…。あれ?
「いいのいいの!」
とにこやかに教えてくれたのは、宇検村出身のママでした。
「私の実家、昔から迎えはするけど送りはしないの。 ちょっと変わってるでしょ。
(仏さんの)お好きなタイミングで、どうぞご自由に帰ってください、みたいな(笑)」
お盆のやり方は島の地域で違うのはもちろん、家々によってもまったく違います。
なら、もっと自由で良いんだ、と無理をしなくなったそう。
「だから、家族でルールを作ったっちば。火は危ないから一日中はつけなくてもOK。道草も、誰か一人車の中で一緒に居てあげればOK。それがヤスダ家ルール!」
文化は時代とともに変化しながら後世へと続きます。
でも変わらないのは、先祖を想う気持ち。
パパやママを眺めながら、子供たちは一つひとつ大きくなっていきます。
日も暮れてきた送り盆の墓地には、提灯を揺らす大勢の人たちで賑わっていました。
「ジイジ、気をつけてね」
天国は、いったいどこまでゆけば到着するのでしょうか。
昔は島でも木舟を作って、海や川に灯籠を流していました。
送り盆の翌日には浅瀬や河口に灯篭がまだ留まり、魂がうろついているのだそう。
なるほど、長い道のりのようです。
見送りの言葉と一緒に、ジイジとバアバに今年最後のお供え。
ぜんざいや落雁やバナナを詰め合わせた、小さなお弁当でした。
「帰り道でお腹が空くといけないからね!」
この記事を書いたフォトライター
竹内 聡
フリーライター/ゆりむん(漂流物)収集家。造園の大学を卒業後、ソーラーの営業マンとして関東を奔走していたが、島の「結い」という呪いに導かれて移住。奄美のラジオ局で島の酸いも甘いも辛いも知る。現在は黒糖焼酎の酒造会社に勤めながら、観光ガイド、島の植木調査、島グチ研究、ロケーションコーディネート、仮面制作などで自らを表現しながら島を考え続ける、奄美で最もこだわりのない暗中模索人。