宇検村の人たちが奄美の精霊「ケンムン」を愛する理由
島コト
2017/11/08
秋葉 深起子
奄美大島の西南部に位置する、自然豊かな村、宇検村。
宇検村といえば、子供の頃、毎年おこなわれる花火大会に連れて行ってもらうのが楽しみだったことを思い出す。水中花火やナイアガラの滝。小さい私にとって、それは年一度の大イベントだった。
そんなイメージの宇検村が、いま、とても力を入れて大切に進めている構想があるという。
それは「ケンムン構想」。
村をあげて取り組む「ケンムンの棲む村、宇検村」構想を確かめに、宇検村へケンムンドライブへ出かけた。
宇検村にいる6つのケンムン像を見たことがありますか?
名瀬から車で約50分。
いよいよ、宇検村に到着・・・というとき。
ガジュマルの下に、、、
ケンムン!
そう。ケンムンとは奄美の妖怪。
(詳しくはあまみっけ。でご紹介しています)
ガジュマルに棲むというケンムンは、いたずら好きで子供のような姿をしているという。
島の人なら誰もが知っている「ケンムン」だと思いますが、
実は宇検村に6つのケンムン像があることを、皆さんはご存知でしょうか。
また、知っていてもすべてのケンムン像を見たことがある人は、おそらくまだ少ないのでは?
しかも。
今後もケンムン像は増える予定で、最終的には「宇検村の全14集落にケンムンを設置したい」とのこと。
なぜ、宇検村ではこれほどケンムンが愛されているのか
宇検村ケンムン像の仕掛人でもある、宇検村の元田信有村長(写真右)と、地域おこし協力隊の丸山耕市さん(写真左)にお話を伺った。
「宇検村の中をよく見ると、いい童話や昔話しがたくさんあるのです。
例えば、奄美博物館の館長さんが宇検村とケンムンの深い繋がりを語ってくれていたり、鹿児島の図書館館長を務めていた椋鳩十さんが書いた本にも、宇検村が出てくるのです。
また、宇検村に1人で100話くらいの民話や昔話を知っている ばぁちゃんがいるのですが、その民話を国際大学の先生方が聞き取りをして本にしているんです。
このように(宇検村には)残していきたい物語がたくさんある奥深い場所なのに、宇検村の子供たちにはあまり引き継がれていないし、学校でも教えられていない。
なので、これらを地域ぐるみで発信したり、語り継ぐことができれば、子供たちにとっても夢が広がるのではないか・・・そのような思いから“ケンムン構想”をしよう、という話になったのです。」と元田村長は語る。
「また、宇検村にある民間企業(開運酒造)の会長さんはケンムン話に詳しく、晩年は地元の子供たちに語ってくれていました。そして、現在 同会社は京都市こどもみらい館館長を務める童話作家の方とケンムンの絵本を作っています。
このように『地域の方々の歴史や文化、産業にもつながっている。』ということで、ケンムンは非常に幅が広いのではないか、と思っています。」
心の中のケンムン
「今もケンムンはいるのですか?」 思わず聞いてしまった私に、
「いますよ。僕は“人々の心”だと思うんですよ。」元田村長はそう答えてくれた。
奄美大島の一部の人、宇検村の一部の人たちは、今でも本気でケンムンに会いに、山へ探しに行くそうだ。
「実は私の知人にも『私、このあいだケンムン見たよ』と真顔で語ってくれる方がいるんです」と伝えると、
「そこなんですよ!」と元田村長。
「そういう人々がいる地域は豊かです。心が豊かだと思うんです。
そういう話題に没頭できる地域。そんな地域づくりをしていかなくては、と思うんですよね。」
大人がケンムン民話を真剣に話せる“豊かな宇検村”
奄美のケンムンにまつわる話は、子供のときから民話を聞いているからこそ、大人になってもその続きの夢がふくらんでくる。
ところが大人になってから初めてケンムン民話を聞いても、なかなか入ってこないのだそう。
「だからこそ、地元のおじぃやおばぁには子供たちにケンムン話をしてもらいたいのですが、真剣に語り継いでいる集落と、過去の話としての民話になりつつある集落があるのが現実。
そこで『このような宇検村に語り継がれている大切な昔話はしっかりと残していかなくてはいけない!』という発想からケンムン構想がスタートしたのです。」と元田村長。
現在、宇検村6か所のケンムン像の横すべてに、ケンムンにまつわる民話が書かれた看板があるのだとか。
ケンムンだけではない、語り継いでいきたいもの
島口にしろ、八月踊りにしろ「奄美大島の生活習慣」は、地域の歴史や文化に密着している。
「例えば、豊年祭りでも、何のために、その祭りを行うのか。という精神が宿っていればカタチだけを残すのではなく、本来の意味を大切にしながら続けていくと思うのです。
そこに精神がないと「やめよう」という発想になってしまうと思うのです。
そのような、集落に息づいている、引き継いでいくべき大切なもの。
逆に言うと、そのような習慣が残っている集落は、ケンムンの民話が残っていると思います。」と教えてくれた。
これからの宇検村とケンムン
この「ケンムン構想」に命を吹き込む役割を担っているのが、地域おこし協力隊として宇検村に移住してきた、丸山さん。
丸山さんは、宇検村の地域おこしのために日々奮闘しながら、上記で紹介したケンムンの像を作ったり、村のイメージキャラクターの制作も担当。
「宇検村は人を再生させる場所です。心と体を活性化させる神秘のエネルギーがあります。特別な癒しの施設やプロジェクトこそありませんが、ここに暮らしているだけで人の
自然治癒力が増すような地域だと思っています。」と話す。
宇検村は手つかずの自然に加え、ケンムンが近くで見守ってくれている特別な地域なのかも、、、インタビューをしながらそう感じた。
「今年は、村政施行100周年を迎える宇検村。
これを記念し公募されたイメージキャラクターの『ウーケン』とともに、いろいろなイベントを企画しています。原風景を消すことなく、宇検村住民主導で行えることを意識しています。ケンムンのおかげで村がより活性化したらとても嬉しい!」。
丸山さんは力強く語ってくれた。
もちろん、ケンムン構想もさらに進めていくそうだ。
「昔ケンムンは怖い存在だと語られていて、それによって子供たちは自然の神秘や、ハブの恐怖が心に刻まれてきました。
そういう自然への畏敬が大切なのだと思っています。
だから宇検村のケンムン像は、出来る限りガジュマルがある場所や、少し近づきにくい(怖い)場所に設置して、自然の神秘や、集落の奥深さを子供たちに伝えたい。
怖い話だからこそ記憶に残り、語り継がれると思うのです。」
「とはいえ、近年ではケンムンも「怖い」というよりも、親しみやすい存在になっているので、
時代とともに、受け継がれるケンムンの在り方があってもいいかもしれませんね。」
と元田村長は笑った。
昔から受け継がれたものを大切にしながら・・・我々の村のケンムンがあっていい。
そうするとどんどん夢は広がっていく。
「だからこそ、宇検村はケンムンの存在をしっかりと残し引き継いでいかなくてはいけない!」
元田村長と丸山さんの熱いお言葉と、ケンムンのことを語るときの楽しそうな表情を拝見し、私たちもあらためて、ケンムンに親しみを感じ、それと同時にその存在意義を強く感じた。
※ちなみに、元田村長は「ケンムン」の「ケ」を、「ケ」と「ク」の間で発音。
シマの「ケ(ク)ンムン」なのだそう。
この記事を書いたフォトライター
秋葉 深起子
RDA(Relaxing Days Amami)ツアースタイリスト。東京でカラー&イメージコンサルタントとして、企業研修や講演、プロダクトデザインのカラー提案、フォトスタイリング等を行う株式会社アンドカラーを設立。2017年「五感を刺激する大人のための奄美旅」をモットーに、奄美と出会えてよかったと思えるような旅やイベントを企画運営事業を開始。