様々な言い伝えをもつ、イザトバナレと呼ばれる無人島・「枝手久島」の物語
島景
2016/07/04
福永千景
あの危険生物の発祥の島?!
宇検村のやけうち湾に浮かぶ無人島・枝手久島(エダテクジマ)。
船で気軽に行ける距離にあり、釣りポイントも多いことから昔から親しまれ、方言でイザトバナレとも呼ばれています。
かつては人が住んでいたこともあるほか、島にまつわるいくつかの伝説も残されています。奄美大島全域に生息するハブは、この島から広まったという話は、よく耳にするところです。
枝手久島へ渡るには、船を使うしか手段はないのだけれど、近ごろはカヌーやスタンドアップパドルで渡る強者もいるそうです。
水中考古学ロマンに浸れる場所
干潮の際には、島へ歩いて渡れるかと思うほどの浅瀬がある箇所もあり、 その浅瀬の為か、過去には船が座礁したこともあるといいます。
枝手久島と宇検集落の間の海底からは、数千点に及ぶ中国製陶器の破片が海底から発見されました。
その青磁や白磁の椀や皿などの破片は、倉木崎海底遺跡と呼ばれ調査・保存がされています。
いつの時代に、どのようないきさつで陶器が海底に沈むことになったのでしょう。 水中考古学へのロマンがこの地で味わえるでしょう。
島を舞台にしたある夫婦の物語
枝手久島には、電気も水道の設備も整っていないのですが、大正10年頃から30有余年ほどの長い間、この島に暮らしていた男女が暮らしていたそうです。
カマッシュとアヤッグワという愛称で親しまれていた夫婦は、沖縄の久高島の出身。クダカという愛称で呼ばれる小さなサバニに乗り、周りの集落へ行き、交流していたそうです。
現在よりもさらに原始的な孤島の生活は、どのようなものだったのでしょうか。
電気のない場所から見る夕陽は、二人にどのように映っていたのでしょう。
島への移住のきっかけなど、興味がわいてくるようなお話しです。
実在した夫婦の物語を辿る旅に出かけてみるのはいかがでしょう。
夕陽を背に浮かぶ枝手久島を眺める時、あなたの物語も回想されるでしょう。
そして、新しい物語がまたひとつ始まる時となるでしょう。
この記事を書いたフォトライター
福永千景
セラピスト/エッセイスト。奄美大島出身。奄美の地元紙、南海日々新聞にて2013年から紬随筆を執筆中。島内外の人と人を繋げるイベント等を企画・運営している。奄美黒糖焼酎語り部として、エフエムうけんにて黒糖焼酎を宣伝するための番組を企画、パーソナリティーを務める(2015.3まで)